関根友実の患者レポート


<内臓逆位の娘を持つ父親の不安>2009.07.13
 かつて「ブラックジャック」という漫画の中で、腹痛を訴える内臓逆位の男児のオペを天才外科医ブラックジャックは鏡を使って見事に成功させました。 最近でも、「医龍」という漫画の中で生後9か月の内臓逆位の赤ちゃんの心臓のバチスタ手術に挑戦するシーンがありました。 フィクションの世界の中ではたびたび登場する内臓逆位という症状ですが、実際にはほとんどの医師が逆位の患者の診療経験がないため、 病気や事故などによる診療や手術などが困難になる場合があるのです。そんな壁に突き当たった、内臓逆位の娘さんを持つお父さん (オトン会員・ハンドルネームELEPHANT)にお話を伺いました。

 内臓逆位とは・・・

 内臓逆位とは、生まれつき内臓の配置が鏡に映したようにすべて左右反対になる症状をいいます。内臓がすべて左右逆に配置されているだけならば機能的に問題はありません。
 ELEPHANTさんの話では、内臓逆位と一口にいっても、いろんな種類があるらしく、心臓が右よりで他の内臓が反転している場合と、完全に全て反転している場合の2通りあるそうで、ある程度成長してから検査をしないと、どちらのパターンにあてはまるのかはわからないのだそうです。ELEPHANTさんの娘さんは、生まれてほどなくして小児科医より異常を指摘され、「内臓逆位の可能性があります」と告げられました。しかし、鏡に映したように完全に内臓が逆の配置になっているケースだと確定するのは小学生になってからでした。
 生まれた娘さんが内臓逆位であることを知りご両親は驚かれたのだそうですが、機能的にまったく問題がなかったので、日頃は意識をすることもなく過ごしていたそうです。一万人に一人程度の割合で発生する症状ということで、まわりにまったく同じ症状を持った人もおらず、ご家族は不安を抱えながらも、健康にすくすくと育つ娘さんの姿を見ながらほっと胸をなでおろしていました。

 緊急事態に、受け入れ先が見つからず・・・

 しかし先日、その不安が現実のものとなってしまいました。
 昨年のある日、娘さんが朝起きた時に急な腹痛を訴えました。
 普段であれば少々のことでは弱音を吐かない娘さんが、顔面蒼白でお腹を抱えて泣いていたというのです。これは尋常ではないと思ったELEPHANTさんは、慌てて救急車の要請をしました。
 娘さんが内臓逆位であることから、救急隊員の方に「設備の整った大学病院をお願いします」と希望したのですが、早朝だったこともあり近くの大学病院に受け入れを断られてしまいます。救急車を停車させたまま、救急隊員は10分圏内の大きな総合病院も何件か探してみたようなのですが、全て受け入れを断られてしまったようでした。その間、救急車内で娘さんは40分間苦しみ続けたそうです。
 結局、自宅から救急車で30分もかかる場所でしたが何とか受け入れが了承され、娘さんが搬送されました。

医療現場の戸惑いに打ちひしがれ・・・

 救急車が病院に到着してようやく医師に診てもらえると思ったら、願いむなしく、さらにそこから1時間ほど待たされてしまったんだそうです。「これでは救急とは言えないのでは・・・」と思いながら、傍らで苦しみ続ける娘さんをいたたまれない気持ちで見守るしかありませんでした。
 やっと先生が来てくれたのですが、2,3分腹部を触診して一言。「エコー検査して来てください」と言われ、またたく間に立ち去ってしまったんだそうです。そのまま待つこと20分、ようやくエコー検査室へ移動。検査室で腹部のエコー検査をした時、担当者がポロッと「いつもと逆やから難しいな」と漏らしました。何気ない言葉であっても繊細な年頃の娘さんは傷ついてしまうのではないかと、ELEPHANTさんは胸を痛めたそうです。そして画像を見ながら、「普通やったらここからこう来てこの辺が盲腸の辺りやから逆になってこの辺で…ぶつぶつ」と頭をかしげながら検査をする技師の姿を見て、娘さんと二人、ますます不安が膨らんでいきました。
 その後、小児科の診察室へ移動して、ようやく点滴をしてもらったのだそうです。娘さんが腹痛を訴えてから、すでに4時間が経過していました。
 小児科の先生から診断結果を説明されましたが、腹痛の原因が解明できなかったために様子見の為入院となりました。
 結局5日間入院して、痛みがなくなったので退院となりました。
 ELEPHANTさんは、もしこれが交通事故等急を要する場合だったら、検査ひとつをとっても勝手が違うのに、手術となったら娘は無事助かるのかと思うと全身が総毛立つ思いをしたそうです。

 もしもの時に備えるために・・・

 その出来事があってから、もしもの時の備えを日頃からしておかねばならないと思い立ち、ご自身で内臓逆位の手術の経験があるお医者さんや取り扱ったことのある医療機関などを捜そうとしたそうなのですが、何処をどう調べればいいのか術が分からず、いまだに見つけることができないのだそう。インターネットで調べてもヒットしませんし、役所に聞いても「わかりません」と言われてしまいます。途方に暮れている折に、オカンの会の存在を知って入会してくださいました。
 一万人に一人の症状ですから、同じ症状を抱えた方が全国に一万人はいるという計算になります。その一万人の中の多くの人が、ELEPHANTさんと同じように、もしもの時の恐怖に脅えていらっしゃる可能性があります。珍しい症例であるために、孤独感に苛まれ苦しんでいらっしゃる可能性もあります。
 先月取材でお会いしたSMA(脊髄性筋委縮症)の患者の皆さんは、インターネットという便利なツールが生まれたことで、患者同士の横のつながりが出来て、同じ症状で悩み苦しんでいる者同士でいろんな思いを分かち合うことができたことがとても大きかったと話していらっしゃいました。そして、国や厚労省に対して患者として訴えていくときにも、団結して主張する方がインパクトもあるし、取り合ってもらいやすいともおっしゃっていました。
 内臓逆位の症状を持つ患者さんを扱ったことのある医師、もしくは医療機関をご存じの方、もしくは調べる方法をご存じの方、ぜひ医療を支えるオカンの会までご連絡ください。
 また、ご自身やご家族が内臓逆位の症状を抱えていらっしゃる方も是非、ご連絡をいただけたらと思います。
 もしもの時のために、是非立ち上がって下さい。





<SMA家族の会の皆様とお会いして>2009.06.12
 うららかな初夏の陽気に包まれた昼下がり、リーガロイヤルホテル大阪にて私が待ち合わせをしていたのは「SMA家族の会」のみなさんでした。

SMA(脊髄性筋委縮症)について

 SMAという病気のことをみなさんはご存知でしょうか。
 私自身も、会のみなさまとお会いすることになるまで、SMAという病気について詳しいことはわかりませんでした。

 SMAというのは、Spinal muscular Atrophy、日本語に訳すと「脊髄性筋委縮症」という重篤な病気です。脊髄の運動神経細胞の病変によって起こる筋委縮症で、ALS(筋委縮性側索硬化症)と同じ運動ニューロン病の範疇にはいる病気なのだそうです。五番目の染色体に病因遺伝子があって、両親ともに病因遺伝子を持ったときに発現する可能性のある劣性遺伝病です。
 呼吸障害や体幹から四肢の麻痺に至る重度の身体障害ですが、知的障害は伴いません。

 発症年齢や重症度によって三つの型に分類されます。
 生まれてまもなく発症するT型の場合、全身性の筋力低下に見舞われます。発症後は運動発達が停止し、体幹を動かすことができず、支えなしに座ることは不可能になります。ミルクを飲み下すことも不可能になり、呼吸不全を伴うため、呼吸ケアが必須です。多くの場合、気管内挿管や気管切開、人工呼吸管理が必要となります。
 一歳六か月までに発症するU型の場合も、支えなしに立ったり歩いたりすることはできません。成長とともに関節が固くなり、筋肉の動く範囲が狭くなっていきます。リハビリや排痰、呼吸器ケアは欠かせません。
 自立歩行を獲得した後に発症するV型の場合は、発症後徐々に病状が進み、次第に転びやすくなってきて、歩けなくなり、ついには立てなくなるという症状が出てきます。腕の上げおろしも困難になっていく場合もあります。幼児期、小児期、成人期の発病もあり、今まで出来ていたことが出来なくなっていくという喪失感や不安感が大きく、年齢や症状に応じた心のケアも必要となります。
 なにより、SMAという病気について、多くの人が知ることが何より肝要だと思いました。

SMA家族の会の皆様とお会いして

 この日集まってくださったのは、「SMA家族の会」の堀本吉昭さん、藤原聡美さん、藤原さんのお母さん、中学生の娘さんがSMAの患者である小暮和歌子さんの四人。
 現在日本にはSMAの患者がおよそ1000人ほどいらっしゃるのだそうです。自身がSMAであることに気が付いていない潜在的な患者もたくさんいるのではないかといわれているのだそうです。
 結成10年で「SMA家族の会」の会員は200人ほどに増えていきました。患者同士の大切な情報源であり、貴重な心の支えでもあるネットワークです。

 堀本さんは阪神福島駅から、藤原さんは京阪電車中之島線の中之島駅からそれぞれ車いすに乗ってリーガロイヤルまで来てくださいました。頭が下がる思いだったのですが、皆さん口を揃えて「昔と比べたらずいぶんバリアフリーが徹底されるようになりましたから、とても便利になりました」と明るく応えてくださいました。

汗と涙の軌跡・・・SMA患者の苦悩

 藤原さんのお母さんは、「かつては学校の移動教室のときにも、毎回私が学校へ出向いて、聡美をおんぶして階段を上がり下がりしていました」と、壮絶な昔の記憶を振り返ってくださいました。
 まったく普通の子供として育っていた聡美さんは、ある時急に足の調子が悪くなったのだそうです。お母さんが聡美さんをおんぶしていろんな病院を回りましたが、どの医師も「原因はわかりません」と困惑顔で首をかしげます。
 聡美さんがまだ幼かった頃、SMAという病気のことを知っている医師はほとんどおらず、まさに病院をたらい回しにあったのだそう。

 現在SMAは「神経内科」というところが専門的に診てくださるそうですが、医師全体でみるとまだまだこの病気のことをよく知らない医師も多いらしいです。
 小暮さんは、SMAについて医師の認知が足りないことの弊害は「救急時の呼吸ケアにあるのだ」と教えてくださいました。SMAの患者が感染症にかかると、肺炎や無気肺などに至る危険性が高く、呼吸機能が低下するリスクもあります。
 そんな緊急時に、救急措置として酸素吸入のみを施される場合があるのだそうです。それは非常に危険なことで、吸気として取り入れられた酸素が体内で水と二酸化炭素になり、二酸化炭素を体外へ排出しなくてはならないのに、呼気機能にも障害があるために排出することができず、体内に二酸化炭素が溜まってしまいショック症状を起こし、時には死亡に至るケースもあるのだそうです。

 また、小暮さんからお聞きしたお話で印象に残ったのは、重度の小児SMA患者のお母さんのお話です。
 生まれてすぐにSMAを発症し、呼吸障がいを起こして気管切開をした赤ちゃんがNICUから自宅ケアに移行したんですが、自宅でも慎重な呼吸ケアは欠かせません。呼吸管理、栄養管理、廃痰などの作業はすべてお母さんが付きっきりで対応しているのだそうです。
 一刻も目を離せないその理由は、もしも痰を詰まらせるなどして呼吸が出来なくなり、脳に酸素が十分に行き届かなくなったことが原因でさらなる障がいを負ってしまった場合に悔いても悔いきれないからだと・・・自分の責任において看病している限りは一刻も目を離すまいと、そのお母さんは二年間わが子の側に付きっきりで、まったく外に出ていないのだそうです。
 切ないまでの覚悟と思い詰めた心情に思いを馳せ、胸が張り裂けそうになりました。

インターネットを駆使して発展した家族の会

 会の皆さんは、SMAのことを知らない人たちに向かって、懸命に発信していらっしゃいます。広く関心を持ってもらわなくてはいけないという危機感からです。
 同じ病気を患った人や家族が横に繋がることで、結束して国にSMAを「特定疾患」に指定してほしいと訴え続けてきました。そして患者の皆さんの多岐に渡る努力が見事に結実しつつあり、SMAは国会などで種々の手続きが進んだ後に、特定疾患に指定される予定です。

 堀本さんは、「インターネットの存在なくしては、会の結束を語ることはできません」と話します。自由に外に出て会合をすることは難しくても、何人もの患者が同時間帯にネット上の空間に集い、チャットで会議をすることはできます。インターネットの進歩によって、SMA患者は物理的空間的な制約を一気に飛び越えられるようになったわけです。
 この会合も、堀本さんが私の個人ブログに掲載していたメールアドレスに一通のメールをくださったことがきっかけでした。



 堀本さんは10歳前後にSMAV型を発病されました。
 徐々に衰えていく筋力に戸惑いながらも、持ち前の前向きな思考と時々の病状や生活形態に合わせて住まい方に工夫を凝らすことで、見事に病気と共存して来られました。
 堀本さんは現在にいたるまで20年間にわたり、自宅の一室で地域密着型の学習塾を開いて子供たちを教えていらっしゃいます。
 インターネットがなければ、堀本さんと私が出会うこともありませんでした。
 インターネットの功罪は慎重に見極めなくてはならない課題ですが、少なくとも人と人とを繋ぐ有効なツールであることは確かです。

 ツールとしてパソコンを使い、「翻訳家」として立派に独り立ちをされているのが藤原さんです。
 「今日も午前中に一本、英訳の仕事をこなしてきました」と爽やかな笑顔を浮かべる藤原さん。
 隣に座っていた藤原さんのお母さんが、翻訳家になるまでの長く過酷な道のりについて語ってくださいました。週に一度の翻訳家のレッスンを受講するために、京都から大阪まで車で藤原さんを送迎し続けたお母さんの愛情。それに応えるために必死に英語を学び続けた藤原さんの根性。
 お二人の辿ってきた道のりは並大抵の努力や苦労ではありませんでした。




心に染みるメッセージ〜未来の懸け橋に〜

 藤原さん(右から2番目)は会合のあと交わしたメールの中で、私にこう語ってくださいました。

 「たとえ体が動いたとしても、してはいけないこと、できないこと、食べてはいけないものが色々ある人もいる。そういう人と比べると、むしろ車椅子の私の方が自由だったりする。もちろん、五体満足、健康優良児が理想ですが、そういう方たちでも路頭に迷う時代にあっては、一体何がいいのかわからないなぁと最近は特に思います。
 もちろん、世の中には『明らかに不条理』と思われる点がいくつもあり、改善を求めて声をあげ続けていく必要はあります。それは当事者としての権利であり責任でもあると思っています。
 ですが、嘆いてばかりいても、誰も何も変えてくれるわけではないですからね。ダメもとであたって、砕けたら砕けたで、違う方法を考えるだけです。
 この体さえ動けば、といまだに毎日思いはします。
 でも、体が動いていれば、翻訳をしようとは思わなかったかもしれません。
 この病気と向き合って来たからこそ歩んで来れた道のりであったということです。
 今置かれている環境でできることを精一杯やっていくしかないですからね。  日々、修行です。人生は深いですね。」

 何度もメールを読み返し、藤原さんから勇気と生きるエネルギーをいただいた気分になりました。

 そして堀本さんに「患者として広く人々に伝えて欲しいこと」をお聞きしたら、こんな答えが返ってきました。

 「SMAは重度の障がいはありますが、知的障がいは伴いませんので、学校の問題が大きいです。
 特別支援学校では知的障がい児の学習対応には専門性が発揮されていますが、通常の知的能力を持つ障がい者への対応は十分とは言えないところがあります。義務教育修了後や高校卒業後の進路については、居場所という意味でも、進学・就職という意味でも厳しいものがあります。
 そこで、地域の学校や幼稚園・保育園に通いながら自宅近くの友達や仲間がいる中で、いろいろと楽しいこともつらいことも体験していってもらいたい。校区内の学校・園に通わせたいという親やたくさん友達を作りたいといった患者本人の思い・願いが生まれてきます。
 しかし、すんなりと認められる場合は少なく、基本的には安全面や介助人員を確保するための予算不足やバリアフリーのための予算不足などを理由に地域の学校に進学することが認められないことが多くあります。障がい者の教育に関して、選択の幅を広げる方向で各地の学校が判断をしていってほしいと願っています」

 教育者らしい、素晴らしいご意見だと思いました。

 SMA家族の会の皆様にお会いして、私は自分の無知を恥じました。
 なんと狭い視野で物を見て考えていたのだろうと思いました。
 日々、修行。人生はまだまだ奥が深いのだと痛感しました。