元介護士が本音で綴る介護現場の話
匿名会員様からのご投稿
私は、介護施設にて、介護及び介護事務を兼務しておりました。
現在でも介護保険について、認識されていない方が多いです。
近隣に住まいの介護をされている方でも、どこに相談をしていいのか分らない、
また、介護保険を利用すること自体抵抗されている方も多く、相談にお答えしたことがあります。
昨今、不況や特に今問題になっている派遣切りの問題で、介護の仕事がクローズアップされてきております。
職場の人手不足・低賃金・過酷な労働確かにそうではありますが、
だからといって介護を目指していない一部の方が
「取りあえず介護の仕事」、「ハローワークからの紹介で・・」こんな気持ちで介護は、簡単に出来ません。
某局のニュース番組でも特集でこの問題を取り上げておりました。
その中のインタビューで、二人の派遣切り、失業された方が
「時間どおりに帰宅できないのが、しんどいです。」
「私は、機械を扱う仕事だったので、コミュニケーションが取れるか自信がありません・・」
回答している傍らには、施設を利用されている高齢者の方がおりました。
その言葉は聞こえているはずです。画面に映っていましたから。
・・・私は、愕然としました。
こんな、中途半端な気持ち、自信が無いのなら何故この仕事に就いたのか、
きっと答えは、生活のためというでしょう。
介護の仕事に限らず、人と接する仕事は難しいと思います。
厚生省は手当ても出し、雇用の確保といっておられますが、
大切にしないといけないのは介護と言うのは
「今までの自分と違う喪失体験を持つ、非常に繊細なケアの必要な人と接する、とても繊細な仕事である」
という認識です。
施設を利用されている方々は、
アルツハイマー(軽度・中度・重度)、認知症(左記に同様)、終末期の方、脳梗塞による麻痺の方本当に様々です。
高齢の方だけではありません。お若くして介護を必要とされている方もおられます。
私の勤務していた施設は、アルツハイマー、認知症の重度の方が多く他の施設で受け入れをお断りされた方が多くおられました。
もちろん、麻痺の方、自力歩行の出来ない方、会話も困難な方がおられました。
現場は、職員が足りなく私は介護と事務業務を兼務していました。
ある男性(認知症重度)は、送迎車から施設へ入ろうとしませんでした。
職員は何人もで降車を促すのですが、降りられませんでした。
次第に男性の表情は硬くなり座席に摑まって降りません。
・・・しばらくし、私はそっと車に乗り
「温かいお茶が入りましたよ。飲みにいきませんか?」
と声を掛けてみました。
男性は、私の顔を見て
「お茶入ったんかあ・・ついてきてくれるか?」と言ったので、
「もちろんです」と答え歩行を介助しながらやっと施設へ・・。
何故その方が、車を降りたのかというと、
その方は、毎日来られると決まって、どんなに暑い日でも、温かいお茶を飲んでいたので私は気づき、
この方法で促しました。
その方は、若かりし頃は会社のトップクラスの方で、懸命にお仕事をされていたと奥様から聞きました。
事務もしていたのでご家族の方からの情報や、たわいもない話から施設を利用されている方の人生の背景が見受けられることもありました。
その情報は独占せず。職員にも報告していました。
以降その方は、私を秘書のように思い、何かあると報告し、
時には、祇園の話・舞妓さんの話など聞かせてくれました。
がむしゃらに働き、家族思いの方でした。
ある女性(アルツハイマー重度)、几帳面で、神経質な方で、息子さんが介護をしておられましたが、
触られることを嫌いその為、入浴も出来ず大変でした。
いつもはソファーに座っていたその方がある日、施設を出て行かれました。
徘徊です。
私は、施設用の携帯を手にし、「どこに行かれるんですか?」と決して戻りましょうとは言いませんでした。
出て行ったのは何か心の変化があるはず、訴えている。
女性は、振り向ききつい口調で「迎えに行かなあかんのや」と一言、
「私も、なんです、始めていくので一緒に行きませんか?」と尋ねると
「あんたもかあ、良いよ」といって、一緒に歩きました。
女性は公園に入り、
「ここで、待つの」と言いながらベンチに腰をかけ
「あんたも、座り」初めて穏やかにはなしました。
枯れかけた葉を日にかざし
「私と同じ、こんなになってしまった・・」寂しそうに呟きため息、
私は手を添えて「緑があるから元気ですよ」と言うと
「あんた、優しいな」といってくれ、
自ら「そろそろ、帰ろう」と私の手を取り、
童謡を歌いながら施設へ帰りました。
「汗かいたから、お風呂は入りましょう」といってみると
「うん、今日は入ってみようかな」と、施設に通い始めて、やっとお風呂に入ってくれました。
いつもの席に着くと私を呼び色々と話してくれました。
聞けば、戦後女手一つで裁縫をしながら、子供たちを育て、
かなりのご苦労があったようで時折詰まりながら話していました。
子供に弱いところを見せるのを我慢し夜なべしていたそうです。
手の爪は自分で切れないため、伸び、爪白癬(爪水虫)になっており、
危ないので断られる覚悟でつめきりを持ち、手袋をすると
「切ってくれるの?ありがとう」と受け入れてくれました。
その日を境に、私がソファーに行くと手招きし子供のように私の頭を膝に乗せ
「一人にして、ごめんなあ・・寂しかったやろ」といいながら
背中をトントンと寝かしつけるようにしていました。
以後、気持ちはやや安定し、過ごしてもらえるようになりました。
このように良いケースもありますが、そればかりではもちろんありません。
私が退職する際には、元校長を務めていた方が立ち上がり、
まるで卒業式のように「みんなでお礼を言いましょう」といい、
蛍の光を歌いだし、利用されている方で合唱となりました。
また、お若い女性で重度の麻痺と言語に後遺症をもった方からは、
「近くの公園でお花見のとき、あなたも寒いのにカーディガンを貸してくれてありがとう、今でも覚えてますよ」
と筆談ではなくご自身で懸命に話していただいた一面もありました。
私は、「お礼を言うのは、私のほうです。
日々皆さんから学び、そして人生の大先輩である方々に失礼は無かっただろうか、
皆さんの困っていることに答えられているだろうかと思ってましたが、
皆さんのおかげでここまでこれました。
ありがとうございます。」
といったところ、口数の少ない女性が
「あなたが、笑顔で挨拶してくれるだけでも元気になるの」
といわれ、涙があふれました。
この仕事に着く前、資格取得のために働きながら通学していた私達生徒は、
その学校の先生から、
「人として尊重すること
人生の先輩であること
日々書類上ではなく利用されている方を観察し表情・行動から少しの変化に気付くこと
子供に話しかけるようにしないこと
介護の必要な人の人権」
これを、何度も言われました。
そして私は、「介護感」という言葉は、
介護される側のご都合の感覚、
介護というのは、その人の人生、その人を取り巻く環境
それを観察し、時間を掛けても会話や表情、行動を見ることが大切で、
どういう介護が必要かその人それぞれに考えることだと考えています。
介護感を磨き、感じながら動く、これが介護だと思って働いてきました。
勿論介助をするのは当たり前。
けれど、中途半端な気持ちや、車椅子介助、入浴、手から言葉から伝わります。
それは、介護される方々は何十年もの人生を歩んできたからです。
手や、表情、口調は不思議なほどに相手に伝わるものです。
一生懸命に取り組んでいる、介護従事者は沢山います。
ただ、いい加減な覚悟と知識で飛び込むと、
ご本人にとっても介護される方々にとっても、大変な試練であると思います。
勤めていた頃の体験で印象深いことを書き記しましたが、
実際大変なことも沢山ありました。
少しでもこの体験を知っていただき、何かを感じてもらえればと思いここにたくしました。
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