関根友実の突撃レポート


<友人が神戸の御影にクリニック開業!>2009.09.04
今日はちょっと趣向を変えて。 中学時代からの大親友が、9月5日に神戸の御影にクリニックを開業するというので、 8月29日に行われた内覧会に潜伏取材してまいりました。
 思い立ったら即実行の片上佐和子さん。 高校時代、文系の国立大学入学を目指し、同じ塾に通っていました。ところが、勉強もそこそこに、塾の近くのドーナツ屋さんやクレープ屋さんに行っては、日が暮れるまで恋の話に花を咲かせておりました。

  バレンタイン前夜には、佐和子さんの家で丸一日かけてチョコレートトリュフを作ったりもしておりました。 しかし、高校二年生のある日、突然、佐和子さんが「関根、私、実は医学部を受けようと思うねん」と言われました。 「背が高いから、スチュワーデスになりたいな」なんて、夢を語っていた佐和子さんの口から、しかも文系の対策しかしてこなかったにもかかわらず、いきなりの医学部受験宣言に、私はひっくりかえりそうに驚きました。

  でも、彼女の瞳にはとても真剣で、強い覚悟が感じられ、その決断に私は魅せられてしまいました。 彼女なら、不可能を可能にすると確信した、一番初めの出来事でした。

 見事に現役で医学部に合格した佐和子さんは、形成外科の医師となり、 この夏まで、大阪・梅田にある「浜口クリニック」に、形成外科・美容皮膚科・美容形成外科医として勤務していました。 そんな彼女から、「開業しようと思う」と告げられたのは、今年の春のことでした。 彼女の瞳には、また揺るぎない決心の輝きがありました。 時折、会っては話を聞いていたのですが、開業する場所も、希望の場所を足で歩いていて、あるクリニックビルにピンと来て、その足で現場周辺の他のクリニックや薬店に聞き込み取材をし、強力なコネクションを作り上げました。
  近くのスポーツクラブとも業務提携の約束を果たしました。 開業資金を安く抑えるために、出来うる限りの工夫をしました。 自分で探したデザイン会社の人とも意気投合して、出来る限り安く、しかも患者さんがリラックスできるような空間を創造してもらいました。 友人ながら、驚嘆するほどのフットワークです。 春に覚悟を決めてから半年間、まさに昼夜問わずフル回転して、10月に開業出来たらいいなと言っていたのですが、一か月早い開業にこぎつけました。

  クリニック勤務を続けながら、シングルマザーとして二人の息子を育てながら、自分自身の形成外科クリニックをゼロから作り上げたわけです。 そんな佐和子さんのクリニックが、開業を前に内覧会を開いたので、行ってきました。





  とても落ち着いた内装に、清潔感あふれる雰囲気。 オシャレな神戸の街にはぴったりだなと思いました。
 
 そして、佐和子院長。 院長室のデスクもオシャレなフォルムです。




こちらは手術室です。 ここで、形成外科や美容外科、美容皮膚科の領域の様々な施術が行われます。 各種のレーザー機器が置かれています。




 そして、ケミカルピーリングやビタミンCの補給など、メディカルエステを受けるのがこちらのエステルーム




 この日の内覧会には、いつも集まっている中学時代の友人たちも訪れたのですが、その中の一人のあっちゃんが佐和子院長に頬のシミが気になると申し出たところ・・・ 「いま、取ったげるわ」ということに! レーザーであっという間に取れるということ。 シミにレーザーを照射して、しばらくすると赤くなり、そして黒みがかってきて、かさぶたになるそうです。 そのかさぶたが一週間くらいすれば自然にポロリと取れるそうですが、そうなればシミは薄くなっています。 ひと月ほどするとほとんど気にならなくなるそうです。 まずはレーザー照射前のシミがこちら




レーザーの光が目に入ると目を痛めてしまうため、こんなメガネをかけて照射を受けます。 このままプールに飛び込んで、バタフライしそうです。



 そして、レーザー照射。




あっというまに終わりました。 痛みはほとんど無かったのだそうです。 ポイントは、照射部を乾燥させずに、常に湿潤環境に置いておくことなんだそうです。 だから、かさぶたが自然に落ちるまで絶対にこすったり剥がしたりしないことが大切。

 あっちゃんは、「こんな簡単だったら、まだまだ他にもしたくなった〜」と大はしゃぎ。 美に対する女性の思いは尽きることはないようです。 私もいろいろ相談に行こうと思いました。


  いよいよ明日9月5日、開業です。 佐和子クリニックのホームページはこちらです。

http://sawakoclinic.com/


男性の患者さんも大歓迎とのことです。 気になる開業のその後の様子をまた、ご報告します。

<千葉県立 東金病院のレジデント研修に密着>2009.08.12
東金病院を訪ねて3千里
 夏休みを利用して、以前から興味のあった千葉県東金市にある千葉県立東金病院を訪ねました。

 千葉県東金市は、千葉の北東部、太平洋に面した九十九里浜という有名な砂浜にほど近い、田畑の広がる自然豊かな街です。 海の幸も山の幸も美味しく、自然に囲まれたのどかな場所は、同時に深刻な医療崩壊に見舞われた地域でもありました。 病院から医師が減っていき、地域での医療が成り立たなくなりつつあるという現実を知り、地域医療のために立ち上がった一人の主婦がいました。 それが、NPO法人 地域医療を育てる会の藤本晴枝さんです。

  

NPO法人 地域医療を育てる会 ホームページ http://iryou-sodateru.com/

 藤本さんには、まだお子さんが小さい時に、熱を出したお子さんを連れて病院を探しましたが、東金市から遠く離れた千葉市内でしか診てもらえなかったという原体験がありました。 そして、今から4年前、地元で開かれた地域医療を考えるシンポジウムに参加した時に、行政側は「頑張って皆様のニーズにお応えする所存でございますので、何とぞご理解ください」と住民側に説明し、住民側は「あれがほしい。これがないと困る」と要求していました。 理解してくれと主張する行政側と、要求するばかりの住民側の議論が大きくすれ違っているのを目の当たりにして、このままでは何も変わらないと痛感したのだそうです。 そこで、傍観者ではいなかったのが、藤本さんの凄いところです。

 藤本さんは、そのシンポジウムに招かれていた東金病院の平井愛山院長と徹底的に話をしました。 二人は、地域医療を再生させるためには、医療者と住民が手と手を取り合って、地域医療を考え、そして地域に根付いて頑張ってくれる医師を育てなくてはならないという結論に達しました。 そこで三年前に始められたのが、「レジデント研修制度」です。 非常に効果を発揮して、研修医の数も順調に伸び、東金病院をベースに専門医の資格を取得する医師も増えています。 また、このレジデント研修の効果で、コミュニケーション能力に磨きがかかったという医師が数多く輩出されました。

  藤本さんと平井院長に是非ともお会いして、実際のレジデント研修を見学したいと思いました。



  レジデント研修とは レジデント研修は、大体月に二回のペースで、東金病院の研修スペースを借りて行われます。 レジデントとはいわゆる後期研修医のことで、この研修の画期的なところは、住民が主体的に参加して、レジデントのコミュニケーションスキルを向上されるお手伝いをします。

  この日は地域住民が10名ほど参加していました。 資料とアンケートを数枚配られて、住民はコの字型に座ります。 そして、コの字型の空間にあたる部分に研修を受ける医師(研修医とは限らず、通常の勤務医が研修を受けることもあります)が座り、研修は始まります。



  医師は、あるテーマにそった病気の説明を住民に向けて15分間話します。 この日のテーマは「めまい」でした。 医師は「めまい」という病気の種類や見分け方、めまいの種類によってどんな病気が引き起こされる可能性があるかを説明していきます。

  住民は医師の話を聞きながら、手元のアンケートに答えていきます。 アンケートの内容は五段階評価になっていて、「身なり」や「態度」「話すスピード」「表情」「説明力」などおおそ20の設問に対して、「悪い」「やや悪い」「普通」「良い」「大変良い」で評価します。

 さらに、講話の内容に基づいて、住民との質疑応答に移ります。 この時に、住民は挙手をして、自分自身のめまいの体験談を話したり、めまいについての素朴な疑問をぶつけて、医師は住民達の言葉に答えていきます。 もちろん、この際の医師の回答であったり、言語表現能力、対応力、対話の雰囲気なども、住民たちの手にとって評価されます。 これからの地域医療の在り方を問う そして、クライマックスが「自由討論」です。 この討論には東金病院の平井院長も参加し、レジデント医は討論会の司会を担当します。 医師は住民たちとの議論の仕切り役をし、進行したり、話を掘り下げたり、まとめたり、時に調整役になったりしなくてはなりません。

  今回のテーマは「千葉県東部地域の新地域医療センター構想」。 非常に考えさせられるテーマでした。 補正予算で投じられた地域医療再生基金の争奪戦が、全国各地で激しさを増しているようなのですが、東金病院の平井院長も、育てる会の藤本さんも、地域医療再生の懇談会の委員なのだそうです。 この日のレジデント研修の前にも会議が行われたそうで、地域医療が重大な局面にさしかかっていることから、この話題が自由討論のテーマに選ばれました。 平成25年開業をめどに、千葉県東部地域に「地域医療センター」を建設するという構想があるそうです。 千葉県が約80億円を投じ、地元の東金市と九十九里町が分担して費用を負担するという巨額のプロジェクトです。センターができれば、東金病院は廃院になるのだそうです。 

 地域医療センターは地元の国立大学・千葉大学が主導して計画されているそうなのですが、どうやら「急性期医療」に力を入れた病院になりそうで、東金病院が時間をかけて地域住民とともに作り出してきた、どちらかといえば「慢性期医療」に対応した機能は引き継がれない可能性が大きいとのことでした。  みなで力を合わせて作り上げてきた地域密着の医療体制が、水泡に帰す可能性がある・・・その危機感から、議論はとても熱いものになりました。  

 なんといっても、住民と病院が一緒になって育ててきた宝物のような人材も、千葉大学主導の新しいセンターには居場所がなくなってしまうかもしれません。
 「ヒト」が大事で、医療崩壊という事態は「ヒト」が足りないことによって起きているにもかかわらず、なぜか現実の手当ては「ハコ」にすり替えられてしまう。  

 確かに、この国では何度同じことが繰り返されたことでしょう。  急性期医療は大切です。でも、急性期医療さえ整えば、医療は万全かといえば、全くそうではありません。  都会では開業医の先生もたくさんいて、患者側が数多くある病院を主体的に選択することもできます。でも地方の現実は厳しく、人的にも物理的にも安心安全な医療体制が保たれているとは到底いえません。
 だからこそ、東金病院では住民たちが主体になって地域医療をまさに育ててきたわけです。  

 せっかく育ててきた人が実りをもたらすという時が訪れようとしているのに、もしかするとその実りを大きな力が住民から奪い取るかもしれない。住民たちは非常に強い危機感を抱いていました。  住民の中には「市長室に直談判に行く」と意気込む男性もいました。  

 平井院長は、「そういう行動ではなく、是非、みなさんで情報を共有して、必要な医療体制を考えて、それを住民たちに広く伝えてください」と答えていらっしゃいました。  一部の住民が直談判といった直接的な行動にでるのではなく、情報を出来る限り得て、住民たちが話し合って、地域に必要な医療の在り方を考えて、それを伝えていくことで、多くの住民が主体となって地域医療を支えていく・・・。  

 医療者と住民が手と手を携えて育んでいくという地域医療の在り方についての、平井院長の深い思いが伝わってきました。  センター構想が救急に特化して、慢性期医療に対応して築き上げてきた体制が崩壊してしまうような危機的な事態に陥ることになれば、地域住民と地域の診療所の医師たちと共に、新しい医療体制を作っていくことも視野に入れていると語る院長の瞳には、重い覚悟が感じられました。  

 そんな劇的な自由討論だったのですが、レジデント医は実に見事に司会進行を務め上げ、レジデント研修は1時間半ほどで終了しました。  私も住民側として参加して、幾度か意見も語らせていただいたのですが、本当に素晴らしい制度だと思いました。  

 なにより、実践的で、医療者側、住民側共に非常に学びがあります。  
 住民たちが参加してレジデントのコミュニケーション能力を高めるためのお手伝いをしているわけですが、住民にとっても、研修医の人たちが研修を重ねるにつれ言葉が明瞭になってきて、積極的に意思疎通をはかるようになってくる姿を見るのは嬉しいものなんだそうです。  
 
 研修医や勤務医の人たちにとっても、現代の医療現場ではコミュニケーション能力を問われる機会が多いので、この研修によって実践的に技能を高めることができるというメリットがあります。  

 何より、地域住民とレジデントとの絆が深まり、住民は自分たちが育てた医師を我が子のように大事にし、医師は住民たちに感謝をして地域のために貢献しようと研修後の勤務地として東金病院を選ぶようになることも多いのだそうです。  

 人こそ財産です。

  「ハコ」ではなく「ヒト」へ向かう手当てでないと意味がない、そう確信した1日になりました。  

<オカンの会、地域医療を支える住民活動全国シンポジウムに参加>2009.07.05
地域医療を考える様々な立場の人たちが秋葉原に一堂に集結

 7月4・5日の二日間、東京秋葉原の秋葉原コンベンションホールにて開催された「地域医療を守り・育てる住民活動全国シンポジウム2009」に医療を支える関西オカンの会・・・時々、オトンが招へいされました。まだ立ち上げたばかりの未熟な会なので、こういう立派な会に参加するのも申し訳ない気がしたのですが、いろんな出会いがこれからも活動の支えや助けに繋がっていくかもしれないと思い、参加させていただくことにしました。
 このシンポジウムは、地域医療を守るために全国で活動している住民や医療者、行政職員が、北は北海道から南は九州宮崎まで100名近くのひとが一堂に集い、地域医療を支えるためにどんな活動をしているのか報告したり、活動を持続させていくためにどんな工夫をしているのかを語り合ったりしました。5日の日曜日しか参加できなかったのですが、住民・医療者・行政と立場も違えば地域ごとに条件も違う者同士が、地域医療をよりよくするためにはという一つの目標に向かって議論する場はとても有意義で、貴重な意見をたくさん伺うことができました。


特別招聘団体による活動事例報告

4日は、地域医療を支える活動を先進的に行ってきた「NPO法人地域医療を育てる会」の代表の藤本晴枝さんが、育てる会の取り組みと今後の課題を報告されました。「医療・住民・行政・福祉、この四者が繋がりあって地域をよりよくしていくために協力し合う場作りが大切なのだという言葉が印象に残りました。



 ほかにも、兵庫県立柏原病院小児科を守る会の取材を続けてきた丹波新聞記者の足立智和氏が、守る会の発足の経緯や現在の活動状況を説明。「コンビニ受診を控えよう」「かかりつけ医を持とう」「お医者さんに感謝の気持ちを伝えよう」という三つのスローガンを掲げて活動していること、携帯のメールマガジンを発行したり、小児救急冊子を発行したり、普通の母親の目線で活動を展開していき、県内外に守る会の活動が広がっていることを伝えました。「患者と医療者は、共に力を合わせて地域の医療を作り上げていくパートナーのようなものだ」という足立記者の言葉には深く共感を覚えました。



 青森県西北五地域医療研究会の代表、対馬逸子さんも2006年に研究会を発足されてからの歩みを語られました。行政側が自治体病院機能を再編成して、中核病院とサテライト医療機関を配備しようという計画を提示しましたが、住民サイドが「それでほんとうに地域医療は良くなるのか、安心して生活できるのか」と問題提起し、当事者として自治体病院機能再編成について意見を述べ、積極的にかかわっていこうと乗り出したのです。深刻な医師不足の中、中核病院を機能的に運営していくための医師は確保できるのか、関心の高い脳神経外科を創設することはできるのかなど、行政に細やかな情報を開示させるために住民側から声をあげていこうという意義深い活動です。


立場の異なる者同士が本音で熱い議論を交わしあったグループディスカッション

 4日と5日は小グループでのディスカッションも行われました。
 西北五地域医療研究会の角田周氏が私と同じグループだったのでお話を伺ったのですが、角田氏は「地域によって抱える問題点は様々ですよね。うちのところは、本当に何より医師不足が深刻で、関西の方の赤十字病院から一年とか二年の短期ローテーションで医師が派遣されて、なんとか保たれている状態。あっというまに先生が入れ替わりますからね。それに、町おこしとしても地域医療の充実は大切な課題です。修学旅行などを誘致する際に、旅行代理店は地域医療の充実にとても重点を置きます。保護者としても、もしものときに子供がちゃんとした医療を受けられないようなところに行かせられないって話になりますからね。だから、医療の充実は、観光とも深くリンクします。いろんな意味で、地方の根幹にかかわる大きな問題です。」と教えてくださいました。
 ほかにも同じグループには、福島県南相馬市の市役所職員の猪狩氏や愛知県西尾市の安城更正病院ぼらてあ会よつ葉の石川代表、自治医科大学を卒業後、各地の僻地とされる地域医療現場を医師として支えていらっしゃる徳島県美馬市木屋平診療所の藤原真治医師がいて、それぞれのお立場から意見を交わされてとても勉強になりました。
 私は、「兵庫の柏原と私の住む大阪の柏原市は同じ関西でも地域医療の現状は大きく違うし、問題点も異なります。そして、患者と行政、医療者、同じ医療を論じるときでも立場が違えばそれぞれに意見も違います。だからこそ、関西というより広い地域で、患者、医療者、行政、それぞれの問題点を互いに検証しあえるような場づくりをしていきたいと思います」とオカンの会発足の抱負を述べました。
 そしてコーディネーターとしてNPO法人地域医療を育てる会の石井誠之さんが議論をまとめて下さいました。石井さんは現役の外科医でもあり、東京大学医療政策養成講座で医療政策を学んでこられた地域医療の問題に見識のある医学博士でもいらっしゃいます。



 短い時間でしたが、本当に有意義な交流をさせていただきました。今後も、このシンポジウムでの出会いを活かして、いろんな場面で教えを請うたり、取材に伺ったりして、オカンの会で皆様に報告させていただきたいと思っています。

<これから社会保障政策はどうなる?>2009.06.28

初めての政策説明会のお手伝い

 この日は千里中央にある千里朝日ビルにて、民主党参議院議員の梅村聡氏の政策説明会「医療・介護・年金〜社会保障について語ろう〜」というイベントがありました。私は梅村議員と同じ中学・高校に通っていたというご縁で、今まで母校がらみのイベントなどで議員からはいろんな医療現場の話や社会保障についてのお話を聞かせてもらってきました。今回は、一般市民の方を招いて自身の政策を説明する会を政治家になって初めて開くということで、誰か話し相手がいた方が市民の皆さんも聞きやすいのではと、トークナビゲーターとしてお相手役を依頼されました。

 

勤務医として、政治家として

 梅村議員は2007年の参議院選挙で大阪選挙区から立候補し全国最多得票で当選した、新進気鋭の政治家です。でも、立候補するまでは、大学病院や市内病院で勤務医として多忙な日々を送っていた一人の内科医でした。梅村議員の政策には、臨床医として患者さんたちと向き合ってきた経験が色濃く反映されています。
 現在、政治家生命を懸けて取り組んでいる臓器移植法改正案についてのお話もありました。目の前の患者さんを救う手段があるにもかかわらず救うことができないという不条理をずっと抱えて葛藤してきた医師であるという立場から、臓器移植の年齢制限を撤廃し、脳死判定を受ける権利、脳死判定を受けてから臓器提供の意思を示すかどうかを判断する権利など、臓器提供者側の意思表示の自由裁量を認め、法律で制限する部分を最大限無くしていきたいという見地から、A案を強く支持しているのだと説明していました。そして、「心配なのは、この大事な法案が政局に左右されて廃案になってしまったり、おざなりな審議になってしまうこなんです」と懸念を表明していました。



魂が感じられる政治家に

 時折、医師としての顔が垣間見える梅村議員。政治家になった原点は、がん対策基本法を成立させるために、自らが癌患者であることを告白しまさに命がけで法案成立に献身した、故・山本孝史参議院議員の姿にあるそうです。総選挙前の政局で大騒ぎしている政党の政治家たちより、信念に基づいて行動する政治家の一途な思いに心を揺さぶられる国民は多いと思います。臓器移植法改正案では、党議拘束は外され、議員一人ひとりが自分自身の考えのもとに票を投じることになりました。それは素晴らしいことだと思いました。「魂が感じられる政治家」・・・癌で亡くなるぎりぎりまで命を削りながら国会答弁に立っていた山本議員にそのことを感じ、出馬を決意したという梅村議員。地域医療の問題、産科・小児科・急性期医療の問題、勤務医の待遇向上のためにも果敢に政策立案に取り組んでいきたいと語っていました。
 まだ35歳。駆け出しの政治家・梅村聡議員の今後に注目をしていきたいと思っています。

<大阪府柏原市 岡本泰明 市長とお会いして>2009.06.25
 6月25日、オカンの会代表の関根と、副代表のミタシンさんと、事務局担当のラスカル嬢と三人で、柏原市役所を訪れました。

 午前10時に市長室にて、柏原市の岡本泰明市長に面会しました。



 



 オカンの会の事務局が大阪府の柏原市にあるので、ご挨拶と活動報告をする目的で訪問させていただきました。
 岡本市長はとてもパワフルで豪快な方で、私たちの活動の根底に流れる思いに対して、強く賛同してくださいました。
 オカンの会のことも事前にHPなどいろいろと調べてもらっていて、深くご理解をいただいておりました。


   

 他の病院同様、非常に苦しい状況におかれていた柏原市立の柏原病院でしたが、
 岡本市長は見事な手腕で、柏原病院を大改革されました。
 
 柏原病院では毎年赤字が積み重なっていたのが、改革の結果赤字体質が改善し、利益が出るようになったとのこと。
 
 岡本市長の柏原病院の立て直しへの思い入れは熱く、ご自身の携帯の着信メロディーはなんと、
 大流行した山崎豊子さん原作の医療ドラマ「白い巨塔」(唐沢寿明・主演)のテーマソングである「アメージング・グレース」!
 
 「この曲が携帯から流れるたびに、柏原市の医療インフラの向上に対する不断の思いを新たにするんです」と語る岡本市長。
 




 



 岡本市長は「いい病院にしていくために良い先生に来てもらっても、その先生が医療に疲れて辞めていかれては意味がない。関西オカンの会のやろうとしている『先生、いつも本当に有難うございます。感謝しています。』という気持ちを持って医療と市民の架け橋になっていくという活動には意味がある。車の両輪のように行政と市民が医療を支えていくことが重要だ。」という趣旨のお話をしてくださいました。


 私たちも自分達の活動を再確認し、頑張ろうという気になれました。



 今回お話を聞かせていただく中で、自治体の首長の強い覚悟を感じ、柏原市民としては心強く思いました。
 お忙しいところ、一時間半も時間を割いていただき、様々なお話を聞かせていただきました。
 ほんとうにありがとうございました。

 最後に記念写真をパチリ。



 



 今後もいろんな自治体にご挨拶に伺おうと思っています。